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2008年06月29日

産卵

昨日、今日と梅雨らしくまとまった雨が降りました。今朝は雷が鳴りまして、まさかそろそろ梅雨明けか、と思ってしまいました。天気予報を見る限りではまだもう少し梅雨空は続きそうな感じですが、もしかすると今年の梅雨は短くなるのかもしれませんね。

さて、今日は初めて亀の産卵に直面しました。今まで亀の卵は見たことあったのですが、まさに産卵の最中という場面にはお目にかかる事ができず、暗いうちに産卵しているものとばかり思っておりました。

午後から消費者向けの便りに載せる写真を撮りに畑や田んぼを回っていたところ、畑(減反田)の畔で産卵の真っ最中でした。写真だけ撮らせてもらい、邪魔をしないようにそっとよけて通り過ぎました。

いつもこうして産み落とされたあとで、この卵を獣が掘り起こして食べてたりする場面をよく目にしておりました。産み落とされたからといって必ずしもこの世に出てこられるとも限らないという現実は、一見すると過酷であるとか厳しい世界だとか受け取られがちですが、自然界における命の変遷とはこれが当たり前なのですね。

この世に生を受けるもの、死んでいくもの、全てが自然界の大いなる流れの中でごく当然に過ぎ去っていく営みの一つでしかありません。そのごく一部だけを捉まえて可哀想だの美しいだの残酷だのと騒ぎ立てる感情そのものが既に不自然な状態になっている証でもあります。こういう感情ばかりが前面に押し出される人に限って自分達が他の命を犠牲にして命をつないでいるという現実には盲目になりがちというのもおかしな話です。

断っておきますが、だからといって私がこの卵達が全部食われてしまえ!とか思っているわけではありませんよ。元気に産まれて来ればいいなとは思いますが、その思いと結果とは私達が決めることではないというだけのことです。

身近な生き物になればなるほど、「守りたい」という感情はどうしても強くなってしまいますが、だからといって何をしてでも守りさえすれば正義というのも大きな過ちを犯すことになります。

自然の懐からひたすら離れていく方向に突き進んできた私達現代人にとってはこの頃合のつかみ方が非常に難しくなっている気がします。

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2008年06月25日

サル再び

災いは忘れた頃にやってくる

2年前に初めてサルが現れました。そのときはうまく追い払うことができ、以来姿を現していなかったのですが、本日ついに舞い戻ってきたようです。今朝うちの下の家のおじさんが目撃。そして午前中畑にいっている間に軒下に干してあるニンニクをむしって散らかしておりました。写真がその残骸です。悔しいですが、きれいに剥くものです・・・

さくらがいるにもかかわらず、そのすぐ近くまで来てのうのうと悪さをして帰ったようです。近くの畑でもつきはじめたトマトの実を落とされていたという話を聞きました。

早急に手を打たねば、とは思うのですが、私のいないときにばかり来られても何もできません。サルは賢さ、器用さ、共に獣達の中でも群を抜いておりますので、この周囲に出てくる癖がつく前になんとか追い払いたいものです。

とりあえず今回はさくらには悪戯はされていなかったようですが、これも慣れてくるとどうなるか予測がつきません。ほんと今年は次から次へと悩みの種がつきません。なんか試されているような気がしますね。

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2008年06月21日

雨とともに

梅雨らしくジメジメした日が続きます。洗濯物は乾きませんし、寝苦しいし、合羽を着て田仕事をしていても蒸れてずぶ濡れになるし、と一見すると嫌なことばかりのようでもありますが、不思議と街にいたときのように梅雨が嫌いではなくなりました。

確かに家にこもっていると気分も陰惨としがちなこの時季ですが、田んぼの片隅で仕事の合間に一服しながらシトシトと雨に打たれておりますと、これはこれでいろんなものが洗い流されていくようでなかなか落ち着くものでもあります。

蒸し暑くなっているということは気温も上がってきているわけでして、天からの恵みを受けた田畑では稲や野菜だけでなく草達も見違えるような速度で生長しております。だから草取りに田んぼに入っているわけでもありまして、悠長なことを言っている場合ではないのですが、草を敵視し、時間に追われ、憎しみを持って土と関わるというのは疲れるばかりです。

「今日中にここまで終わらせておかないと」
「~時間でこのくらい出来たから、あと~時間かかるな」
「これが終わったら今度はあれも片付けておかないと」
「まだあれもしなくちゃ」

ついついこんな声が頭の中を巡りがちです。こういう発想で行動するから道を誤るんですね。人間が決めた計画にのっとって自然が動くんじゃない。自然の流れに合わせて人間が生きさせてもらっているんだ。

何も百姓に限ったことではなく、人間があれこれとヘタな考えをめぐらせて労苦ばかりを増やし続けることはなかったんですね。田んぼで草をとりながら心からそう思える瞬間が、わずかばかりではありますが、あることに気づけるようになりました。

とはいえ私もまだまだ愚鈍な俗物の塊。洗濯物の乾きが気になり、明日の天気や仕事が気になり、作物の収穫までの生育が気になって仕方ありません。神(自然)の意思を我がものと感じ、その絶対的真理の中に安んじられるようになるのは一体いつのことやら・・・

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2008年06月20日

無理は禁物

しばらく更新しておりませんでした。月曜日から地元中学校の職場体験で2年生の男子1名が来ておりましたが、別にこれが理由というわけではありません。ここ3日ほどへばっておりました。

疲労のピークを感じたのは水曜日。いつもであればここで1日休んで回復を図るところなのですが、中学生が来ていることもあり、無理して動いておりました。中学生は朝9時から午後3時までしか働きませんので、私もそのくらいの時間なら無理が利くだろうとたかをくくったのが大きな間違いでした。

水曜夕方にはついに熱まで出たようです。毎度のことながら体温を測るということはしませんので自分の感覚ではありますが、間違いはありません。途中玄米味噌雑炊と梅干番茶を口にし、夕方から翌朝まで水分補給をしながら寝続けました。

木曜日、だいぶ体は軽くなりましたが完全回復ではなし。雨のため、タマネギ・ニンニクを吊るすという軽作業のみ。この日も早くから横になることに。こんにゃく温湿布にて肝・腎の回復を図る。

で、本日、ほぼ回復しました。が、昨日よりもひどい雨、時折雷もあり。加えて中学生大遅刻。大説教の後、中学生追い返される。本当は「帰れ」といわれてすごすご帰るようでは困るのですが、そこで喰らいついてくる気概も言葉も微塵もありませんでしたので作戦変更。学校へ行かせ、今日あったことを余さず先生に報告させることに。

その後私は一人で半日ほど田んぼへ。合羽は着ているもののやはりかなり濡れます。ほぼ回復したとはいえ、ここでまた無理をしても同じ事の繰り返しになりますので、今日はこれにて仕事は終わり。長い間かけて蓄積された疲労がそう都合よく2~3日で解消されるわけもなく、まだ不完全要素は2,3あります。

そして現在夕方。中学校からは今日の私の措置について何の反応もありません。

長い事実報告でしたが、ここから本題。
中学生にも説教したことではありますが、私は遅刻そのものを問題視しているわけではありません。心根のことを問題にしているわけです。失敗は誰でもします。まして中学生などに完璧な仕事など求める気もありません。しかし30分以上も遅刻しておいて、のんびりと歩いて登場するとか、私に「遅いぞ」と言われるまで謝罪の言葉を口にできないとかは心根の問題です。

あらゆる仕事の最中にも、説教されているときにも、常に私の指示と救いの手を待っています。おそらく今まで家庭でも学校でも与えられることしかなかったのでしょう。自らの意思と判断とで自分から動くということをした事がなかったのでしょう。

なるほど、職場体験の要綱、目的の項目に「自らを律し、他人と協調し、他人のことを考えて行動できる力を育む」みたいなことが書いてありました。説明会時には「こんなこと家庭と学校でやってることだろ」くらいに思っておりましたが、出来てないから外部に任せるんですね。

今日の件も散々説教したあとに「じゃあ遅くなった分、取り戻すぞ」的なことを言って仕事をさせるという選択肢もあったのですが、これでは結局また私が最後まで「与える」ことになってしまうのであえて突き放してみました。そこからどう這い上がってくるかが見たかったのですが、自らその壁に手をかけるそぶりもなくひたすら私のよこすロープを待っているだけ・・・

やはり今までそういう目にあった事のない子はどう対処していいのか分からないんでしょう。今回の嫌な思いが少しでも今後の役に立てばいいのですが。

ほんと、怖い先生、怖いオヤジ、怖い近所のおじさん、たちはどこへ行ってしまったんだろう。大人がみんな「いい人」でいたい、といえば聞こえはいいですが、それって結局は自分が可愛いだけなんですよね。本当に子供たちのことを思うのであればもっと嫌われ者になる必要があります。時期が来ればそのとき怒られた事の有難さが分かるものですし、いつまでたっても恨み辛みしか残らないものは最後までつまらぬ人間ですし、いずれにしても「怖い」人に「怒られた」という経験があって初めてスタートラインに立てるわけですから、この出発点を取り除かれたら後にも先にも進めません。

私も若い頃は「いい人」でいたいばかりでしたが、やはり歳ですかねえ・・・「嫌われ者」の役回りも少しずつはできるようになってきたようです。でもやっぱり「いい人」のほうが楽だなあ・・・

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2008年06月15日

てんやわんや

入梅してからすぐに夏のような晴れ間が続きました。週間予報も当分晴れマーク続き。巷では空梅雨ではないかという噂も。

これはしばらく畑がいらえるな、とたかをくくったのが間違いでした。昨日午後から雲が出始め、夜天気予報を見ると一転、ひたすら雨マーク続きに変わっておりました。

こうなるとさあ大変。あれもこれもと頭の中がてんやわんやになってきます。この時期忙しくなるのは毎年のことではありますが、今年は特に密度が濃くなっているような気がします。特に作付面積を増やしたわけでもなく、栽培品目を増やしたわけでもなく、更には私自身がサボっているわけでもなく、むしろ今年は春からこれまでになく勤勉に仕事ができている気がしていただけにこのペースの乱れには面食らってしまいます。

明日から金曜日まで地元中学校の職場体験の受け入れで男子が1名やってきます。今年も食と農について少しでも考えてもらえるきっかけ作りができればとあれこれ戦略を練っておりますが、天気の大幅な崩れが予想されておりますのでこれも臨機応変に変更してゆかざるをえないでしょう。

お天道様のことですからそのときになってみないとどうなるか分かりません。あれこれと予定を立ててみてもそれは実は単に私が都合のいいように思い描いている絵空事に近いものでもあります。自分の思い通りに事が運ばなかったとき、そういう事態に直面したときにこそ、その人の真価が問われるのかもしれません。

慌てふためく人、腹を立てる人、投げ出す人、笑って乗り越える人、その状況に応じた対応を考える人・・・
反応は様々ありますが、全て出発点は自己にあります。あらゆる思考の出発点を自己から切り離せたとき、自然(=真理)の世界に立てるのかもしれません。何事にも動じない心を持って目の前に起こる事象に対峙できる、そんな風になれない自分をこの時節に見つめなおさせてもらえているのかもしれません。

さて、何はともあれ、明日から目の前に氾濫している日々の営みと向き合うばかり。「案ずるよりは産むが易し」ですかね。ほんと、意外とこんなことばかりだったりもするんですね。

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2008年06月11日

待ってました!

本日入梅、そして午後からようやく雨が降り始めました。先週後半から「降る、降る」と言われながらようやくの雨です。

畑仕事はまだまだやりたいこともあったのですが、日曜日に定植した苗たちは土中に残った水分だけで耐え忍んでいたところなので、これで一安心です。

さて、今年の梅雨はどの程度降ってくれるのでしょうか。あまり降りすぎると畑仕事ができなくなりますので、それはそれで少々困るところでもありますが、水全般のことを考えますと空梅雨というのも後々困ったことになります。いずれにしても我々人間に都合のいいようにだけ自然界が動くわけもなく、自然界全体を俯瞰した視点で捉える必要があります。

そもそも自然界の営みは絶対のものでありますから、我々人間がそれにうまく寄り添って生きるようにしさえすればよいだけの話でして、あれこれ欲を持って見るものでもありませんね。「塞翁が馬」の故事の通り、近視眼的な物事の捉え方はやめにしたいものです。

今日は入梅初日にして、お隣さんから初物の鮎をいただきました。早速塩焼きにして食べました。まだはしりですのでそれなりの大きさでしたが、旬の味を楽しませてもらいました。本当はこういう川のものも頂き物で食べるだけではなく、自分で採って食べられるような生活にしたいものです。時季的に時間的余裕を持ちにくいと言ってしまえばそうかもしれませんが、「時間がない」は言い訳の要素が強いですよねえ。

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2008年06月08日

入梅遠からじ?


雨が降る降るといいながら、結局まだ降りません。おかげで畑仕事ができます。
今日から雨、そして入梅の可能性も、という予報を聞いていたもので昨日はかなり無理をして一気に野菜の苗を定植しました。ナス・米ナス・ピーマン・キュウリ・ゴーヤです。

写真右側の畝ににナス50本と米ナス20本、左側の畝にキュウリ48本とゴーヤ16本、ピーマン50本です。畝の長さが約60mあるのですが、さすがに一日で2本の畝上げはきつかった・・・今日は少々筋肉痛です。(まだ翌日に筋肉痛になるのが救いです)

今日は畑の周囲の草を刈り、その草を畝に敷き詰めておりました。時間と体力の都合上、今日は途中までですが、ナスのところのような状態を作っていきます。

まだ明日も天気はかろうじてもってくれそうな感じですので続きを仕上げておきたいですね。雨が降るまでは畑に集中、と思っておりましたが、田んぼの方も草がかなり生えてきているところがありまして、そうもばかり言ってられなくなってきました。やはり例年通り田んぼ半日、畑半日という進め方になりそうです。

やはり気忙しく根をつめて仕事をしていたせいでしょうね、早くもヘバリ気味・・・しっかり米食って早く寝ましょうか。

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2008年06月06日

こんなときもあるさ

今年の私の目標は「急いで仕事をしない」でしたが、やはりこの時季になるとそうも言ってられないようです。

今年は特に作物の生育が例年とは違っておりまして、春に緩慢としていたものがここに来て急激に伸び始めております。草たちも言うに及ばずであります。

田植え中で目を離していた隙に野菜の苗や畑は大変なことに。で、今おおわらわで畑の方に手をかけているのですが、なにぶん入梅間近ということで天候に恵まれません。

今日、明日はなんとか雨が降りそうにないということで、この間になんとか仕事を進めておきたいのですが、やはり一人で一日にできる仕事量はたかが知れてます。自然と仕事時間を長くしたくなるのですが、これまた家のことやさくらの散歩などがあるとおのずと限界が・・・

ああ・・・なんとか明日で切りのいいところまで片付くのだろうか・・・などと考えておりますと、月曜日まで降水確率が下がっているではありませんか。本当にこの予報どおりになってくれるとものすごく嬉しいですね。

まあ、この時季の天気予報も日替わりですからあまり当て込まずにできるうちに一つずつ片付けていきましょうか。ほんと、この時季だけはいくらでも時間が欲しいものです。雨が少なければそうでもないのですが、雨は雨で降ってもらわないといけないものですし、難しい時季であります。

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2008年06月05日

悲しい現実

本日、農機屋へ支払に行ったときのこと。老人二人が店内に座って話をしておりました。店の人と私が「田植えが終わった」という話をしておりますと、それを受けてか彼ら二人も田んぼの話を。

「はあ、田んぼに入らんでええけえのお」
「あとは稲刈りまでなんもすることないけえええのお」
「田んぼに入って除草剤ふることもいらんし、肥料も担いで入りゃあ重たいけえのお」

これが長年米を作ってきた人たちの会話なんですね。そこには米を作る喜びも、食べるものを作り人々の命を支えているという誇りも、土と自然と向き合って謙虚に生きるという姿勢も、微塵もありませんでした。

米国占領政策と戦後経済政策の完全なる勝利の構図を見せ付けられました。食料はもはや人間の命を養う糧ではなく、「お金」という絶対的妄信の兌換物でしかありませんでした。

山や田畑は人々の生活の場でも、ましてや神の存在する場所でもなく、個人の所有物として他人に誇示するコレクションか金銭的価値に置き換えての財産としての意味しか持てなくなってしまいました。

田んぼにまつわる伝統行事としてこのあたりでは「花田植え」や「神楽」が盛んに行われておりますが、これらも上記の構図にもれるものではなく、村に金を落とさせるための客寄せパンダや名を挙げるためのクラブ活動に成り下がっております。

現場で直接米作りに携わっている人たちがこうですから食料政策がどうのこうのとのたまっている人たちが泥の一片でも身に帯びることがあるわけもなく、ましてや食物を「命をつなぐ糧」として、より根源的には「命そのもの」として捉えることなどできるわけもなかったはずです。

あまりにも悲しい話ですが、これが今の日本の現状です。そんな中、私は一百姓として何ができるんだろう。いや、何かをなせると思うこと自体が過ちの始まりで、自然(神)の意思にのみ耳を傾けて日々の営みを続けることこそが百姓の生き方であるな、などとウトウトしながら過ごした雨の半日でした。

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2008年06月02日

田植え終了


昨日、日曜日を持ちまして今年の田植えが無事に終わりました。土曜、日曜と友人が手伝いに来てくれまして、大助かりでした。土日のどちらかで両親も手伝いに来てくれる予定だったのですが、用事が入り来られず。そのぶん戦力は少し減りましたが、日曜日の夕方4時には余裕を持って植え終わることができました。

今年は苗の出来がよろしくなく、例年は一本植えをしている私ですが、さすがに今年は2~3本を基本に植えました。数本を一株に植えているとはいえ、やはり育ちの悪い苗は植えていても心許なく感じます。「苗半作」とはよく言ったものでして、植えている最中から期待感が全く違いますね。

だからといって、ここで諦めるわけにもいきませんし、稲の底力にも期待をしまして、立派に実りの秋を迎えられるよう、これからが稲作の本番でもあります。

昨夜は手伝いに来てくれていた友達と「泥落とし」。またすぐ翌日から次の田仕事は始まるのですが、田植えが終わったという気持ちの上での一区切りです。この達成感や喜びは手植えならではのものであります。

天候もここに来てまた気温が下がってみたり、突然蒸し暑くなってみたり、作物や野草の生育も予測がつきにくいほどに急激な変化を見せている今年ですが、当然稲もこの例に漏れることはないでしょうね。

ということでかなり予想し難い稲作となりそうですが、日々田んぼに入り、稲と向き合いながらじっくりと生育を見守っていきたいと思っています。

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