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2008年06月21日

雨とともに

梅雨らしくジメジメした日が続きます。洗濯物は乾きませんし、寝苦しいし、合羽を着て田仕事をしていても蒸れてずぶ濡れになるし、と一見すると嫌なことばかりのようでもありますが、不思議と街にいたときのように梅雨が嫌いではなくなりました。

確かに家にこもっていると気分も陰惨としがちなこの時季ですが、田んぼの片隅で仕事の合間に一服しながらシトシトと雨に打たれておりますと、これはこれでいろんなものが洗い流されていくようでなかなか落ち着くものでもあります。

蒸し暑くなっているということは気温も上がってきているわけでして、天からの恵みを受けた田畑では稲や野菜だけでなく草達も見違えるような速度で生長しております。だから草取りに田んぼに入っているわけでもありまして、悠長なことを言っている場合ではないのですが、草を敵視し、時間に追われ、憎しみを持って土と関わるというのは疲れるばかりです。

「今日中にここまで終わらせておかないと」
「~時間でこのくらい出来たから、あと~時間かかるな」
「これが終わったら今度はあれも片付けておかないと」
「まだあれもしなくちゃ」

ついついこんな声が頭の中を巡りがちです。こういう発想で行動するから道を誤るんですね。人間が決めた計画にのっとって自然が動くんじゃない。自然の流れに合わせて人間が生きさせてもらっているんだ。

何も百姓に限ったことではなく、人間があれこれとヘタな考えをめぐらせて労苦ばかりを増やし続けることはなかったんですね。田んぼで草をとりながら心からそう思える瞬間が、わずかばかりではありますが、あることに気づけるようになりました。

とはいえ私もまだまだ愚鈍な俗物の塊。洗濯物の乾きが気になり、明日の天気や仕事が気になり、作物の収穫までの生育が気になって仕方ありません。神(自然)の意思を我がものと感じ、その絶対的真理の中に安んじられるようになるのは一体いつのことやら・・・

2008年06月21日 20:40

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Comments

れんこんさん、
三島もそんなこと書いてましたか。彼の本もいろいろ読んだつもりでしたが、私の頭には残ってませんでした・・・
赤ちゃんの姿はいろいろと教えてもらえますね。赤ちゃんを単に何もできない弱々しい存在と見るか、自分たち大人のなくしたものを持っている神に最も近い存在と見るか、大きな分かれ道です。

投稿者 kenzo : 2008年06月23日 06:36

ほんとに人は色々と無駄な考えがたくさんわきますね。三島由紀夫のパクリですが、恐怖や不安があるから勇気がいると。全て神任せに出来ると人間は感謝でいっぱいの生き方ができるのになぁと思います。赤ちゃんを見てるとつくづく思います。まぁ赤ちゃんはお母さんがいなければ生きられないですが、変な心配や不安を抱くことなく生きてるかんじがしますね。

投稿者 れんこん : 2008年06月22日 22:41

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