9月
9月に入ったからというわけではないでしょうが,たった今うちの鈴虫がはじめて鳴きました。なき初めと言うことでしょうか,かなり下手糞な鳴き方をしてます。
先週あたりから空気は秋に向かってきたなという感じです。日中は相変わらず日差しがきついのですが,畑仕事をしておりますと明からに汗の出方が減ってきています。
今年は記録的な猛暑といわれておりますが,さすがに人工物の少ない田舎では一足早く秋の気配を感じることができる時季になってきたということでしょうか。標高の違いもあるのでしょうが,それ以上にやはり舗装やコンクリートに覆われ熱を逃がす機能がない上に,エアコンの室外機や車など膨大な熱源を抱えていることの方が都会と田舎の圧倒的な暑さの差を生み出している気がします。
高気密・高断熱が流行の現在の家の構造にも暑さを生み出す一因はあるのでしょうが,それも結局は上記のような環境下で目先を追った結果なのかもしれませんしね。
最近,街中からこられるお客さんがやたらと「涼しい」と言ってくれるのですが,私たちにとってはこれでも充分「暑い」のです。比較の問題ではあるのでしょうが,慣れってこんなものかもしれませんね。
してみると私たちのほうが苛酷な環境化では耐えられない体になっているのかも・・・
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スズメとイモチ
今年はお米の出来が過去最高!と喜んでいたのですが,ここに来てやばいことになっています。
一つ目はイモチ病。全面ではありませんが,数箇所ひどくでているところがあります。
もう一つがスズメ。ここ最近毎日のように大群で来ております。それも数が半端じゃありません。
これらによってうちの米が全滅するというところまではないと思いますが,減収することは必至です。ここまでが順調だっただけに精神的なダメージも大きいです。
さて,イモチ病に関してはある程度原因も見えてきたところですので,来年に向けて対策を講じることができますが,スズメはどうしたものでしょう。
田んぼに寄り付かないように脅すことはできますが,大発生の原因はわかりません。去年から急に増えてきましたが,自然界に何が起こっているのでしょうか。
それにしてもスズメたちもよくわかっておりまして,うちの田とお隣さんの田,要は農薬や化学肥料を使っていない田んぼに集中してきます。爆竹などで脅すとさすがに違うところへ逃げていきますが,確実に無農薬田を優先的に食べにくるようです。
今年はどれだけ転んでも三石は楽に越えるなと高をくくっていましたが,こりゃあわからなくなってきましたねえ。
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暑いということは・・・
例年,お盆を過ぎるとこのあたりではかなり涼しくなってきます。ところが今年はお盆を過ぎてからのほうが暑い日が続きます。ここ数日は毎日のように34℃などと温度計がおっしゃっております。
ちなみにこの温度計は,玄関先の軒下につるしておりまして,一日中日陰の場所にあります。それが34℃とおっしゃるのですから日の当たる場所では推して測るべしです。
そんな中で畑仕事をしておりますと・・・死にますね。何とか午前中は朝の空気が残っておりますので耐え切れますが,午後からは無理です。夕方日が傾くまでは外での仕事になりません。
午前中も耐え切れるとは言え,汗の量は半端じゃありませんで,着ている物すべてが水に浸かったようになります。それも開始1時間で。ということでお昼時はそれらをすべて洗って干しておく時間でもあります。
ネット上ということでズボンとシャツしか写しておりませんが,パンツも靴下も何もかも洗って干してます。
さて,この暑さの中,午後の暑い最中に一度仕事に出てみて思いました。こりゃあ,熱中症にもなるわ,と。
そのとき思ったのですが,何で人間だけはここまで無理して働くんだろう,と。
このあたりは確かに暑いですが,街中ほどではなく,日陰にいれば何とか暑気をしのげます。ということで暑さだけを考えれば,上述したように暑い盛りの時間帯を避けて動けばいいということになるわけですし,実際に周囲のベテランさんたちはみんなそうされてますね。
ですが,こんな仕事の仕方をできる人は現代ではかなり少数派の部類でしょうね。自然に合わせて動けば当然であるはずのことができなくなる理由,それは何でしょうか。ここいらの根底に居座っているものこそが,「仕事」と「労働」の差を生み出している一因にもなっているのかもしれません。
この話はこのくらいにして,ともかく,サウナなんかに入って痩せようなんて思っているあなた,今のこの暑さなら一日畑で軽い仕事をするだけで十分それ以上の効果が得られますよ。しかも食糧生産と国土保全の役にも立てる,言うことなしですねえ。ただし,無理しすぎると命の危険を伴いますので,ご注意ください。
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無添加の定義って・・・
台所にあった貰い物の海苔。缶にでかでかと「無添加」と記してあったので,興味を惹かれました。裏面には上記のような説明が書いてあります。「化学調味料等は一切無添加です」と。
で,原材料のところもよく見てみました。
こんなものが使われておりました。
「タンパク加水分解物」「~分解物」「~エキス」などなどここには書かれていないものもあわせて紹介しますが,どうもこの類のものは「化学調味料」には含まれないようです。日本の基準では。
法的な基準がどうなっているのかはよく知りませんが,私がバカなりに単純に思うんです。「科学的に合成・分解」などされたものは全部「化学調味料」じゃね?って。
たとえばタンパク加水分解物ですと,クズ肉やクズ大豆など要はたんぱく質を含んだものを薬品(酸系だったような気が・・・あまり定かでない)で強制的に分解して抽出した代物だったと思うんです。
この「~分解物」系っていろんな本でも健康に対する懸念の声が上がっているわけですが,「無添加」って書かれていたら=「安心・安全」なんて思いますよねえ。
いや,上記のようなことをわかった上でそれが無添加でいいんだって人ばかりだったら何も問題ないんですけど,私みたいな単純な思考回路しか持たない者にとっては,なんか騙されているような気がして・・・
どうも近年では健康ブームに乗っかって偽者の「安心・安全」商品が多すぎる気がしています。と嘆いたところで,結局は買う側がそこを見定めないと売る側の正義感なんてものは期待できない時代ですからねえ。
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台風のあとに
夕べ最接近した台風4号も雨風ともにそれほど強くなく,田畑ともに被害なしで済みました。
今日は朝方,まだ雨風ともに少々残っておりましたが,晴れ間ものぞき,その加減でか,きれいに虹が出ました。写真で撮ってみるといまいちな感じですが,何とか虹も写っていたので載せてみました。きれいに半円状に見える虹も久しぶりだった気がします。
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出穂
先週は所用で3日ほど家を空けておりました。百姓が(というよりは私が)家を空けますと留守中に何かアクシデントが起こることが多いのですが,今回は特に大きな事故もありませんでした。
とりあえずは帰ってすぐに田畑を見回ってみますと留守中に稲の穂が出始めておりました。悪い出来事ではないのですが,毎日田んぼを見て回っていただけに初めて出る穂を見損ねたのは少し残念です。
それから数日,例年よりはペースが遅めながらも少しずつ顔を覗かせる穂の数も増えてきております。どうも今年はダラダラと少しずつ穂が出てくる様子です。
これから1ヶ月以上かけてお米が実っていくわけですが,穂ばらみから含めて約2ヶ月をかけて稲もその子孫をこの世に生み出してその生を全うするわけです。
その間,病気に犯されて死んでいくものもあります。虫の被害もあるでしょう。今少々気になっているのは台風4号。うちの稲は元気に育っていますので,少々の風や雨で倒れてしまう心配は少ないのですが,受粉期に強風が来ますと花粉がすべて飛ばされてしまって不稔という可能性もあるのです。現時点で一番怖いのはこれですね。稲が開花して受粉する時間は非常に短いものですからその一瞬を襲われるとおしまいです。
稲に限ったことではありませんで,この自然界に生きるあらゆる生命はこうしてありとあらゆる危険にさらされながらその中で新たな命を生み出していくものです。
と,こういえば聞こえがいいのですが,この「危険」というのもただ単に我々人間が勝手にそう思い込んでいるだけのことでして,それらも含めて大いなる流れの一環でしかないんですね。
リスクをあおられてばかりの現代社会ですが,それを「危険」と受け取るか,当たり前の営みの一部として受け入れるかによって,生き方はもちろんその結果まで大きく変わってくる気がしています。
人間だけがその「危険」をゼロにできると勘違いし,驕り,逆に自らの首を絞め続けている気がするのは私だけでしょうか。稲は植えられた場所から逃げられません。だからかどうかは知りませんが,すべてを受け入れ,その中で精一杯その生を全うしようと生き抜いているように見えてなりません。当然自然農法を目指す私としてもその稲に対してあれこれと手を出すことはしませんし,ひたすらその生命力を信じて見守るのみであります。自然を信じるか否か,そして私たちもその一部であり,全体でもあるという自覚をもてるか,その一点にかかっているのかもしれません。
ちょっとした病気の兆候やいつもと違う生育の仕方にヒヤヒヤドキドキしている時点で,私もまだまだですが・・・
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稲の色
毎日暑い日が続きます。今日は夕立が降ってくれるおかげで,いつもは蒸し風呂状態の我が家も快適な夕方を迎えられております。
今年はなかなか季節の移ろいが判りにくいようでして,早いところではコシヒカリも出穂しております。これまでの生育具合から今年はもう少しゆっくりめかと思っていましたが,これも私の勝手な思い違いだったのかもしれませんで,自然界は着実に秋に向けて動き始めているようです。
さて,写真はうちから見た田んぼの風景です。田んぼの色の違いに気づかれたでしょうか。色の濃い田と薄い田があるのがわかるでしょうか。このあたりではほとんどの田んぼがコシヒカリを植えていますので,品種は同じです。育ち方によって色の出方が大きく変わっているのです。
うちの周囲では私を含めて3人ほど自然栽培(有機農法)で稲を作っておりまして,色の濃い田んぼはその3件の田です。その他はいわゆる慣行農法(農協指導型の科学農法)の田です。
あらかじめ断っておき,ますが,どちらがいいとか悪いとか言う話ではありません。稲だけでなく,野菜も花も何でもそうですが,育ち方によってその姿・形・色などまったく違ったものになるということです。どの状態がいいと思われるかはその人の考え方,つまりは生き方次第ということになります。
何がどう違ってきて,写真のような差になるのか。普段何気なく口にしているお米ですが,消費者側にはあまりにも何も知らされていない気がしています。稲の姿といってもテレビなどでは田植えと稲刈りくらいしか見せませんし,生育過程なんて知る機会がないのが現状ではないでしょうか。
すべての食べ物についてその生い立ちを知って口にするというのが理想ですが,そこまでいかなくともせめて主食である米くらいはもっと知っておくべきじゃないかな,と。
ここでまた私の意地が悪いところでもあり,モノグサなところでもあるのですが,食べる側にもそういったことをもっと勉強してもらいたいな,と思っております。当然生産者側も勉強不足なところが多々ありますのが現実ですが,「消費者の声」によって生産活動を左右されているという現状から考えますと,消費者がもっと食いついてきてもいいんじゃないかな,とも思えるのです。
与えられた情報やマニュアルは真理から遠ざかっていくことが多い。自分で見て,触って,味わって,感じて,と五感をフルに使って考え,調べていく中で真理のひとかけらでもようやく見えそうになるものです。
ちなみにここでは私の考える稲の違いについては明かしませんが,現地に来て直接見たい・知りたいという場合にはその限りではありませんよ。明確な答えがあるわけではありませんが,私なりの自然観,稲との接し方はお伝えできると思います。
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依存症
長らく更新をしておりませんでした。半分はいつもの怠慢です。もう半分はPCの故障でした。
今週月曜日に一日家を留守にしておりまして,夜帰ってみると・・・ネットにつながらなくなっておりました。
翌日近所の人に話を聞いてみますと,かなりの雷雨があったそうでして,何箇所か落雷もあったとか。モデムも当然壊れていたのですが,PCのLANボードのほうにも雷が入っていたようでして,モデムを交換してもらっても結局つながらず。代替機を借りてきてとりあえずネット環境に戻ったという次第です。
今回ネットから遠ざかってみて改めて気づかされたことが,タイトルどおりの「依存症」です。PCって今の私の場合,ほとんどがネットだったんですねえ。PCだけで完結できる作業などにも活用してはおりますが,使用頻度から言うとかなり少ないということです。
テレビのない生活にはすっかり慣れて快適になっているのですが,ネットの場合,メールなど他人との連絡手段に最大限活用しておりましたので,こういうときに困りました。さらに情けないことに天気予報なども頼っておりましたので,いざ明日の天気は,と気になりましても調べる手段がない。そうなってはじめて自分で空を見てもたいしたことは感じ取れていないことに気づかされます。
考えて見ますと,「天気予報を見る」→「仕事の計画を立てる」という考え方そのものが文明的,人工的な生き方そのものでして,その日の天気と田畑の様子と,そして周囲の自然とを見ながらその日・そのときを淡々と生きるというあるべき百姓の姿ではなかったわけです。
だからといって今すぐにこのネット環境依存型の生活を皆無にできるわけではありませんが,せめて今回のような事態に陥っても慌てないですむような心構えでは生きていきたいものです。
ということでまた少しずつ更新していきます。
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本当の泥落とし
梅雨が明けました。昨夜遠くではありましたが、雷が鳴っておりまして、ひょっとするととは思っていたのですが、天気予報ではまだみたいなことを言ってました。今朝も雲の動きは速かったので、まだ分からないかなあと思っていましたが、午前中から完全に夏の装いでした。
今日はもち米の田んぼの除草作業。これで最後です。一日掛けて念入りに田んぼを回りまして、今年の除草作業は完全終了しました。もうこれで今年は泥の中に入ることはありません。
田植えが終わると「泥落とし」と言いますが、その後もこのくらいの時季までは除草作業で毎日田んぼに入っているわけですから日々泥にはまみれていたわけです。ということで文字通りで行きますと、今日が本当の「泥落とし」になるのかな。
今年はポット苗のおかげでこれまでに比べてかなり楽に除草作業ができました。しかも稲の生育もここまでかなりの手ごたえを感じられております。ここまで来るとあとは収穫までの間、天候と稲の生命力頼みです。水管理や畦草刈り、そして何より稲を見守るということは今後も続いていきますが、ここまでくればやるべきことはやってきたぞという充実感は出てきますねえ。
だからと言ってこれで豊作が保障されるわけではありません。ここから先はまさに「神のみぞ知る」範疇に突入するわけですね。やるべきことはやるが、それで結果を保障してくれというのは人間だけの虫のいい話でして、だからこそ昔から「人事を尽くして天命を待つ」なんて言葉があったんでしょうね。「まな板の上の鯉」なんてのも近い意味になるんですかね。
なんにしてもやるべきことをやったものにしか実感できない感覚でしょう。こういう言葉の重みってのも要領だけ追求して楽して結果だけを欲していたのでは一生分からなかったことかもしれません。あらためて百姓をできていることの有り難味を感じます。
さて、明日からは畑に戻ります。これまでかなりの野菜たちが放置されたことにより犠牲になっておりますし、その救出はどこまでいけるか分かりませんが、これからの秋野菜たちにも取り掛からないといけませんからね。夏の訪れとともに百姓仕事も気分を変えて仕切り直しです。
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にごり水
ここ数日ものすごく降りました。幸い私の周囲では被害と言うほどの話は出ておりませんで、私たちも含め無事に過ごしております。ただ一点を除いて・・・
2~3日前から我が家の水がにごっております。うちの水は全て井戸水の汲み上げなのですが、それは風呂場から始まりました。と言うよりは風呂は水をためるので色が見えやすいと言うことです。
これまでもたまには少しにごっていたこともあったのですが、今回はあまりにもひどかったので、少々心配にもなりまして、お隣さんにも相談してみました。
色々と聞いてみますとどうやらうちの井戸は浅いのではないかということです。ボーリングをしているところを見たことがないと言うので、おそらく昔からの手掘りの井戸の上にポンプを設置しているのではないかという推測です。そうなりますとたいした深さではありません。
で、これだけの雨がまとまって降りますとその井戸にも水が流れ込むということではないかと。
とりあえず裏山の崩れは心配しなくてもよさそうでしたのでそれだけは安心しましたが、水のことについてはあらためて考えさせられました。
ひどい雨が降るとその大量の雨水が土に浸透して水の道にも直結してしまうということですから、地下深くから汲み上げるほどの濾過能力はないわけです。当然、地表近くからのあらゆるものを水に溶かし込みながら流入してくるという構図は容易に想像がつくわけです。
除草剤や各種の農薬、重金属や合成化学物質を含んだ産業廃棄物から生活廃水や家庭ゴミまでありとあらゆるものが無造作に捨てられたり埋められたりしていますが、そういったものも最終的にはどこかの水の道に入り込み、そこから河へ、海へとつながっているはずなんだなあ、とあらためて我々現代人の無責任さを気づかされるわけです。
立地条件から見て、おそらくうちの井戸にはその類のものは流入していないだろうとは思いますが、これも地下でのことですから100%の自信はもてません。とりあえず今まで美味しく水が飲めているという結果論からの推測だけのことです。
「水に流す」とか「臭いものには蓋」とか水や都合の悪いものに関する言葉も日本語には数々ありますが、こうした言葉が生まれた時代とは全く状況が変わってきているんですね。水や土の浄化能力を超えるものばかりを作っては垂れ流しているわけですから、もう「水に流す」なんてことでは何も解決しないどころか、逆に迷惑や被害を拡大させる行為でしかなくなっているのかもしれません。「臭いものには蓋」の原理で埋めて見えなくするってのも同じことですね。
「ゴミを減らそう」 「ポイ捨てやめよう」 「川や海をきれいに」なんて標語を作って頑張る前に自分たちが日常使っているものがその辺に捨ててもいいものばかりだったら何の問題もないんですよね。昔はそうだったわけですから。
以前読んだ小説に(何だったか忘れましたが、明治期の小説でしたね)汽車の窓から弁当箱を投げ捨てるということが当たり前のように書いてありました。確実にこの弁当箱はプラ製品ではありませんよね。
ゴミを投げ捨てるという行為そのものの是非は別として、「あ、これは土に還るのか」と思った記憶があります。
ホント、収拾の着かない話になってきましたが、こんな水源近い田舎ですらこの状態ですから川下へ行けば行くほど事態は深刻なんだよなあって。しかも上水道って川から直接取水してますもんねえ。下水道も結局は河へ流して終わりですしね。
表層しか見えない日常の中でこういうことが起こるとほんの少しだけ真実に近づけるきっかけを与えてもらっているのかもしれません。
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