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2006年08月27日

稲刈り準備

といいましても私個人の話ではありません。部落の生産組合の共同機械のことです。

今日は午前中、その機械や倉庫の掃除や準備点検をしました。コンバインの整備は業者に頼んでいますので我々がやるのは乾燥機、籾摺り機、石抜き機、選別機、といった刈り取ったあとに使う機械と倉庫に関わる作業です。

私は生産組合員というわけではないのですし、コンバインなどを使うわけではないのですが、籾摺り以降の作業はここの共同機械を使わせてもらっていますので、当然お手伝いをするわけです。

こうして準備をしていると今年もそろそろ稲刈りの季節になるのかという話も出てくるわけです。ただ、私の場合は他の人に比べて少し遅めになりますので、現在の田んぼを見てもまだ稲刈りという実感はわいてきませんね。

稲の収穫時期は品種によって早い遅いがありますが、他にも栽培方法によっても差が出るように思います。播種期や田植え時期によって早い遅いがあると言う人も多いのですが、私はどうもそれは関係ないように思っています。それよりも育て方が大きく作用しているようです。

今年の季節の流れの中でどういう生育ステージを歩んできたのか、地力の有無、日当たり、田の水持ち具合、などなど多くの要因が絡んで熟れ時期も決まってくる気がしています。当然そこには我々の思いの及ばない要因も多く関わってきているでしょうしね。

でも、周囲の田んぼを見ていると多少の早い遅いはあれ、毎年それほどの差が感じられません。何故かということを私なりに考えてみました。

簡単に言うとカレンダーに従って薬と肥料を使い、人為的に稲の生育を操作しているからではないでしょうか。
稲に限らず野菜などでもそうですが、限られた肥料分や温度、水管理を操作することによりある程度は自分たちの都合のいい生育をさせることが可能です。ま、それでも自然の影響から完全に免れることは出来ませんが(それすら可能にしている栽培方法もあるようですが)、完全に季節の流れに委ねて育てているものと比べるとその差がよく分かります。

百姓仕事を経済活動の一環として捉え、農作物を生産財として捉えるのであれば当然カレンダーで定められた時期に定められた量が採れることが正義であるという考えになるのでしょうが、私にはそこは人間が踏み込んではいけない領域に思えてどうしても是とは出来ません。

「安定供給」「品質向上」「所得向上」云々・・・食べるものって何時でも何処にでもあると思っているんですよねえ。

これを「進歩」と捉えるか「驕り」と捉えるか、生き方の分岐点になる気がします。

2006年08月27日 22:01

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投稿者 itveykjugy : 2015年06月04日 10:15

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