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2006年12月02日

産地

雪の降りそうな寒さになってきました。現在気温は申し分なく、あとは雲次第では今晩あたり降ってもおかしくない状況です。

今朝テレビを見ていてふと気がつきました。現在どんな食材にでも使われている「産地」の謎。

そもそもこの「産地」というのは魚のためにあったんじゃないかと。当然養殖のような自然破壊的なものは除いて考えておりますが、魚について言うと養殖できるものも限られていますのでとりあえず今回は触れません。

魚は言うまでもなく「漁」ですから魚の棲んでいるところに人間が出向いて獲ってきているわけです。だから必然的にその魚の多く獲れる場所が「産地」となります。

人間は希少なものが好きですから限られたところでしか手に入らないとなると高価にもなりますし、身近にないものを持っているというのが裕福の証と勘違いもしていますから尚更のことです。

これに目をつけたのが農業ではないかと。確かに限られた地域でしか採れないものもありますが、どこででも一般的に作られているものまでもが「産地」として名を馳せようと躍起になっているのがここ数十年の農業政策の常道です。

各種ブランド米然り、各種ブランド牛然り、野菜に至っては自分の庭で栽培できるようなものでも「~産」を買って食べる。

ここで根本的な疑問にぶつかるのですが、この「~産」の農産物はどれほどの価値があるんだろうかと。一般的には他地域よりも格段に美味しいとされていますが、本当でしょうか。

味の好みは十人十色。そして我々の「美味しい」には限りなく先入観が入っているということを忘れてはいけません。

自分で米や野菜を作り出してからつくづく思うのですが、やはり自分の作ったものが一番美味しいのです。他人から見ると大して美味しくないと思われるかもしれませんが、この意識の差がやはり先入観や思い入れなのでしょう。

最近では「美味しい米とは」などと米の成分を分析したりもしていますが、これも売るための方便の域を出ないでしょうね。

このように味に関する認識はある意味での虚構に近いわけですから「~産」が美味しいというのも「ビタミン剤が酔い止め薬になる」的な構図が見え隠れしてくるわけです。

更に言うと、身近で採れたものや自然な状態から生まれたものよりも添加物漬けのものを美味しいと感じている人が多いという現象は我々の味覚が薬品中毒にもなっているという証でして、その味覚で判断しているということ自体、味のことなど誰にも分かっていないということになるわけです。

「~産」「特別な栽培方法」「甘い」「柔らかい」などなど美味しいぞと思わせるための常套句はいくらでもありますが、これらに左右されなくなったときに初めてそのものの本来の味が見えてくるのかもしれません。

その味はずっと昔から決まっているはずなんですけどね。

2006年12月02日 18:32

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投稿者 yyqbei : 2015年08月03日 08:43

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