« 胃炎 | メイン | ラウンドアップ・ハイロード »

2005年07月13日

水田三反、畑一反

実は今祖父が入院中です。腎機能が低下し一時はICUにまで入っていたのですが、透析などの処置の甲斐あってか今は何とか一般病棟にいます。といっても歳が歳だけに予断は許さないのですが。

ということで私も毎週病院へ見舞いにいっているわけです。祖父はずっと百姓をしながら生きてきた人なので、私の今のくらしもとても心配してくれています。最近ようやくまともに会話ができるくらいになったので百姓の話などもするのですが、そのとき私の栽培規模を話していると「広いなあ」と驚いていました。

この40年くらいの間に日本の農業は大規模化、集約化を美徳として押し進んできたわけで、気がつけば私のように水田5反、畑二反なんて小規模農家にしかならないのです。
ちなみに大型農家は水田のみ10町、20町という世界です。この現代の日本の農業のあり方についての是非はまた別の機会に文句を言わせてもらうとして、今回は祖父の一言です。

「水田三反、畑一反くらいが夫婦連れでちょうどいい」

私も実際にやってみてこの数字というのは適当なものだと思えるのですが、今時分この規模じゃ食っていけないというのが大多数の考えでしょうね。
この言葉の裏にあるもの、それは百姓としての仕事の仕方と生活の仕方の違いだと私は受け止めました。

機械やビニール資材、農薬や金肥という石油資材を大量に投入するここ30~40年くらいのいわゆる慣行農法ではお金ばかりかかってしまうでしょう。
大量生産大量消費型の生活に溺れ何でも買って済ます、使い捨てる、という生活や国民総プチブル的な感覚で贅沢を楽しみたいという志向で暮らしている限りではこれまたこの規模では収入が足りないでしょう。

私は自分の作ったものを食べてくれる消費者がいるのでこの規模にするつもりは今のところありませんが、百姓として生きる上での精神的基盤を教えてもらった気がしています。私の勝手な解釈かもしれませんが・・・

2005年07月13日 13:36

TrackBack

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.123weblog.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/414

Comments
Please Comment!




保存しますか?